神作譲

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神作 譲(かみさく じょう、1971年5月11日 - )は、女子高生コンクリ詰め事件を起こした性犯罪者で、本事件当時の「少年B」本人。元の名前は・小倉譲。年上の宮野の体格を上回る身長約180cmの巨漢。宮野とは中学時代からの先輩・後輩の間柄。眉毛まで剃り落とした細いつり目の凶悪な顔つきが特徴であり、まじめに学校生活を送っていた頃の面影は皆無である。

来歴

かつてはまじめに学校生活を送っていた過去があり、高校在学中に部を掛け持ちしていた。試合中の事故で怪我をしたのを機に退部。後に不良化して校内暴力を起こし、退学処分となる。

高校中退後にアルバイトを転々とした後に宮野・湊・渡邉(それぞれ少年A・C・D)とともにヤクザの使い走りとなる。下部組織「極青会」の副会長(名目上の役職)だが前述の三人同様に大した扱われ方はされておらず、事務所やトイレの掃除・洗車・買い出し・構成員の手伝いなどといった格下扱いだった。

本事件での逮捕当時、出所したら少しでも(遺族に)償いたいと泣きながら言っていたが、これは彼の周囲の同情を買うための演技であり、実際は出所してもあまり償っておらず(しかも遺族に慰謝料を払ったのは、とても愛娘を殺された遺族に対する慰謝料とは思えないくらいの少ない額であり、慰謝料として払う義務のある筈のお金をなんと高級住宅や高級車の購入に使っていた。)、高級車セルシオを乗り回してドラ息子のような生活を送っていた。また、かつての不良仲間も口を揃えて「あいつ、刑務所行っても、全然懲りてねえぞ。」と呆れ返っていた。後に知人を監禁、さらに暴行を加えた容疑でまたも逮捕される。

コンピューター会社に勤めていた当時の勤務態度は非常に悪く、少年時代と素行の悪さは変わっていなかったため、彼をよく知っているヤクザからかなり怖がられていたようである。また、コンクリ事件を通報した(と思っていた)相手に逆恨みを抱いていた事から事件に対する反省のなさが窺える。

  • 1999年8月奈良少年刑務所を出所
    • 中国人と結婚して、中国に行こうとするも離婚。
    • 更正保護司の神作久子と養子縁組。(実態のない養子縁組は違法:刑法157条公正証書原本不実記載となる)
  • 2002年、コンピューター関係の会社に勤めるも退職。
    • 暴力団事務所に出入りをし出す。
  • 2004年6月埼玉県八潮市で逮捕監禁致傷により逮捕。

神作語録

「オレは人を殺したことがあるんだぞ、本当に殺すぞ」

「オレは10年間懲役を受けてきて、そこで警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出て来られる」

「アレはマジで楽しかったなあ」

「サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主犯なんだよ」

勤務したコンピュータ会社とは…Japan Media System(末広町)