「交響曲第3番 (オネゲル)」の版間の差分

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'''交響曲第3番'''『典礼風』(てんれいふう、''Symphonie Liturgique'' )H.186は、[[アルテュール・オネゲル]]が作曲した3番目の[[交響曲]]である。
 
'''交響曲第3番'''『典礼風』(てんれいふう、''Symphonie Liturgique'' )H.186は、[[アルテュール・オネゲル]]が作曲した3番目の[[交響曲]]である。
  

2018年2月22日 (木) 19:54時点における版

{{クラシック音楽}} '''交響曲第3番'''『典礼風』(てんれいふう、''Symphonie Liturgique'' )H.186は、[[アルテュール・オネゲル]]が作曲した3番目の[[交響曲]]である。 ==概要== プロ・ヘルヴェティア財団からの委嘱を受けて、[[第二次世界大戦]]が終結した[[1945年]]から[[1946年]]にかけて作曲された。オネゲルはこの作品のタイトルについて、「他に適当な言葉がないので、私はここに『典礼風』という[[形容詞]]を使用しました。この交響曲の宗教的な性格を表すためです」と語っており、作品の3つの[[楽章]]には、死者のためのミサ([[レクイエム]])と[[詩篇]]の中から取られた句がタイトルとして付けられている。しかし、[[カトリック教会|カトリック]]の[[典礼]]から取った標題を与えているのにもかかわらず、[[グレゴリオ聖歌]]からの[[引用]]は含んでいない。 作品はオネゲル自身が人間全体の運命を思いながら苦悩し、その心の様を反映しているが、評論家のベルナール・ガヴォティの[[インタビュー]]に答えて、オネゲルは次の通りに語っている。「私がこの曲に表そうとしたのは、もう何年も私たちを取り囲んでいる蛮行、愚行、苦悩、機械化、[[官僚主義]]の潮流を前にした現代人の反応なのです。周囲の盲目的な力にさらされる人間の孤独と彼を訪れる幸福感、平和への愛、宗教的な安堵感との間の戦いを、音楽によって表そうとしたのです。私の交響曲は言わば、3人の登場人物を持つ1篇の劇なのです。その3人とは、「不幸」、「幸福」、そして「人間」です。これは永遠の命題で、私はそれをもう一度繰り返したに過ぎません…」 初演は[[1946年]][[8月17日]]に[[チューリヒ]]にて、[[シャルル・ミュンシュ]]の指揮で行なわれた。また[[パリ]]での初演は同年の[[11月14日]]に行われ、この時もミュンシュが指揮を行った。なお作品はミュンシュに献呈された。 ちなみに[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]はこの作品を[[連弾|4手]]ピアノ用に[[編曲]]している。 ==構成== 3楽章の構成で、演奏時間は約29分。 ;第1楽章 怒りの日(アレグロ・マルカート) この楽章は神の怒りを前にした人間の恐れを描いている。執拗な[[リズム]]が死の舞踏のように混沌のイメージを作り出す間、[[管楽器]]が呻きに似た長いフレーズを奏する。3つの主要主題に基づいて構成され、展開と再現が認められる。 ;第2楽章 深き淵より(アダージョ) 霊感で深遠な[[アダージョ]]楽章である。[[ベルリン]]出身で[[パリ]]に住む[[現代音楽]]専門の音楽学者の[[ハリー・ハルブライヒ]]は「オネゲルの作品中でも最も気高く、深い霊感に満ちたものの部類に入る」と語っている。 ;第3楽章 我らに平和を(アンダンテ) ゆったりとした[[行進曲]]の[[テンポ]]で開始される。ハルブライヒは「疲労困憊し、絶望して這いまわる人間の行進であり、ついにはその反抗心が苦痛の叫びとなって爆発する。しかし後に続くのは、慰めと神の許しで、フルートによる霊的な鳥の歌が取り巻く永遠の平和の、この世になならぬ幻影に他ならない」と語っている。 ==録音== 例を挙げれば、[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]や[[シャルル・デュトワ]]などが録音している。カラヤンはこの曲を2回録音している([[1957年]]と[[1969年]])。 {{Classic-stub}} [[Category:オネゲルの楽曲|こうきようきよく3]] [[Category:交響曲|おねける3]] [[en:Symphonie Liturgique]] [[fr:Symphonie n° 3 d'Arthur Honegger]]